朝鮮民主主義人民共和国国家宇宙開発局はチュチェ112(2023)年5月31日6時27分、平安北道鉄山郡西海衛星発射場で予定されていた軍事偵察衛星「マンリギョン―1」号を新型衛星キャリア・ロケット「チョンリマ―1」型に搭載して打ち上げた。
打ち上げられた新型衛星キャリア・ロケット「チョンリマ―1」型は正常飛行中、1段の分離後、2段エンジンの始動不正常によって推進力を失い、朝鮮西海に墜落した。
国家宇宙開発局のスポークスマンは、衛星キャリア・ロケット「チョンリマ―1」型に導入された新型エンジンシステムの信頼性と安全性が落ち、使われた燃料の特性の不安定に事故の原因があると見て、当該の科学者、技術者、専門家が具体的な原因の解明に着手すると指摘した。
国家宇宙開発局は、衛星の打ち上げにおいて現れた重大な欠陥を具体的に調査、解明し、それを克服するための科学技術上の対策を早急に立てるとともに、さまざまな部分試験を経て可及的速い期間内に第2次打ち上げを断行すると明らかにした。
朝鮮民主主義人民共和国の自衛権に属する軍事偵察衛星の打ち上げについて、米国が体質的な反朝鮮敵対感を露骨にさらけ出している。
5月31日、ホワイトハウス国家安全保障会議のスポークスマンは、朝鮮民主主義人民共和国の軍事偵察衛星の打ち上げが国連安保理「決議」に対する公然たる違反であり、不要に緊張を高調させ、地域内の安保状況を不安定にする危険があると言い、全ての国家がわれわれの衛星の打ち上げを糾弾すべきだと唱えた。
驚くべきことや新たなことではないが、やはり米国は強盗さながらで不正常の思考から出発した陳腐なうんぬんを並べ立てている。
果たして、誰が不要な緊張を高調させ、地域内の安保状況を不安定にしているのか。
われわれの衛星の打ち上げが強いて糾弾を受けるべきことなら、米国をはじめすでに数千の衛星を打ち上げた国々が全て糾弾されなければならないということだが、それこそ自家撞着の詭弁(きべん)に他ならない。
どの国でも行っている衛星の打ち上げを巡ってその目的いかんにかかわらず、弾道ロケット技術の利用を禁止した国連安保理「決議」にかけてわれわれだけがしてはならないというそのような無理押し論理は、わが国家の宇宙利用権利を甚だしく侵害し、不当に抑圧する、確かに白昼強盗さながらで間違ったものである。
アメリカ式強盗さながらの論理が国連安保理「決議」に明文化されたのは実に、残念なことだと言わざるを得ない。
米国という国は、仮にわれわれが衛星をゴム風船に吊り下げて宇宙軌道に乗せても、不法であり、脅威であるとけん伝する強盗集団である。
間違った公式ではいつになっても正答を出すことができず、これに対する理解力がないのがまさに、21世紀の「米国の悲劇」である。
米国は、主権国家の衛星の打ち上げと宇宙開発権利を無鉄砲に否定し、言い掛かりをつける前に、対決ヒステリーで熱くなった頭を冷やし、国連憲章と宇宙条約の条項を再度はっきり見るべきである。
今この時刻も、朝鮮半島の上空に数多くの偵察衛星と高高度無人偵察機など、さまざまな偵察資産をいっぱい満たして、目が飛び出るほどわれわれの一挙一動を注視するのに余念がない米国が、われわれの軍事偵察衛星の打ち上げに言い掛かりをつけることこそ、盗人猛々しいことであり、理屈に合わない。
米国はこれ以上、錯覚して自らを過信してはならないと思う。
誰も、米国に特定国家の主権的権利に言い掛かりをつけられる権限を付与していない。
この機会に、折に触れ「外交のドア」だの、「真摯な協商」だのといううわべだけの対話うんぬんで国際社会の耳目を曇らせようとする米国にもう一度、はっきり警告しておこうとする。
われわれは、「政権の終えん」「体制転覆」を口癖のようにけん伝する米国とその手先とは対話する内容もなく、対話の必要性も感じないし、彼らが対朝鮮敵視政策の延長線では自分ら自身に有益なことが何もなく、われわれとの対決を追求し続けるのがどんなに危険なのかを認めざるを得ないように、一層攻勢的な姿勢でわれわれの方式による対応を続けていくであろう。
われわれの主権的権利と利益を守っていくうえで、われわれは何でも行動に移す準備ができている。
われわれの軍事偵察衛星問題にそんなにも不安がり、いらだっている米国とその手先の心理を読んでみて、敵がわれわれが偵察衛星を含む優れた偵察情報手段を保有することになるのを最も恐れているということを再三確かめたし、したがって偵察手段の開発にさらなる力を注ぎ込むべきだと意識している。
確言するが、朝鮮民主主義人民共和国の軍事偵察衛星は遠からず、宇宙軌道に正確に進入して任務遂行に着手するであろう。
われわれは、米国との対決の長期性をよく知っており、展望的な脅威や挑戦を意識して包括的な方面で戦争抑止力の向上に全てを尽くしていくであろう。
米国とその手先が引き続きわれわれの主権的権利を侵害する妄動を振るおうとする時には決して、座視しないであろう。